食品添加物に向き合う心構え

(ついに、この問題に向き合うときが来たか……)

私は、「食と農の歪み」について、ずっと昔から漠然とした危機感を持っていました。しかし、食品添加物には、正直なところ意識を向けたことがありません。理由は2つあります。

1つ目は、「原料となる農作物が健康で安全なら、添加物は不要になる」と考えていたこと。

2つ目は、「食品添加物を否定してしまうと、いま食べるものがなくなる」ことです。

それで、農業の技術研究に一気に突っ込んでいきました。そのことに後悔はありません。むしろ、初めに自然農法の研究からスタートして良かったと思っています。農業技術の研究が一段落したいまだからこそ、食品添加物の調査や研究は意味のあるものになると思っています。

さて、食品添加物について意識を向け始めて、もっとも強く感じるのは、

「この世界(業界)は底知れない“闇”」だということです。

一度はまり込んだら、おそらく抜け出すことはできないでしょう。食品加工業の経営者は、自分の会社でつくる加工品は決して食べないといわれています。もちろん、経営者だけではなくて、従業員も同じだといいます。(従業員が安心して自社製品を買う加工業者は、安心できそうです。しかし、そういう情報は、なかなか表には出てきません)

では、加工食品があふれているこの社会で、この人たちは何を食べているのでしょうか? それはもちろん、他の加工業者がつくった加工品を食べているに違いありません。そうでなければ餓死してしまいます。

おそらく、他の業者がつくった加工品が、「自分たちのつくったモノと同じように、食品添加物まみれである」という現実に向き合っていないのです。

なかには、「わかっているけれど、自分たちがつくったモノよりマシ」とあきらめている人がいるかもしれません。

つまり──

冒頭で書いた通り、食品添加物を危険だと感じてしまうと、この社会に食べるものがなくなってしまいます。ということは、この業界に一度でも足を踏み入れて事実を知ってしまったら、あとは自分の心を殺して見て見ぬフリをする以外、生きる方法がないということになります。でなければ、覚悟を決めて餓死を選ぶか、精神が破綻するか。怖いことを書くようですが、それが現実だと思います。

日本人の食は、いまや加工食品によって支えられています。しかし、業界にハマっている人たちは、もはや「毒を扱っている」という感覚がマヒしていて、言葉はきついかもしれませんが、“思考停止”しているように見えます。悲しいけれども、もはやこの闇から脱出する道はないと思います。

ただひとつだけ、一発逆転の秘策がないわけではありません。それは、このブログで一番初めに提案した、「究極の健康レシピ」をそのまま実行することです。

秘策なのにホイホイと明らかにしてしまうのは、私のもっとも軽率なところだと思います。今の時代、タダであっさり出す情報など軽く見られます。しかしこの提案は、昨日今日の思い付きではありません。あえて言うなら、25年以上前に、新聞記者として農林水産省の記者クラブに所属していたときから、ずっと探し求めて、ようやく最近になってたどり着いた“ファイナルアンサー”であることを強調しておきたいと思います。

商売風に言うなら、“出血大サービス”といったところでしょうか。

私は、今の子供たち、そしてこれから生まれてくる子供たちのことが、心配でならないのです。ちなみに私の孫たちは、この究極のレシピですくすく育っています。定期健診にいっても、素晴らしい健康体なので、保健師さんからべた褒めされるそうです。江戸時代に確立した一汁一菜の食文化は本物だと思います。

さて、いきなり「究極の健康レシピ」といわれても、ほとんどの人は、まずピンとこないと思います。そのために、わざわざ「食品添加物」というカテゴリーを設置して、大切な情報を記事にまとめていこうとしています。

前置きが長くなりました。

食品添加物に不安を感じている人への、最初のメッセージです。

「食品添加物への不安を感じる必要は、まったくありません」

こう書いてしまうと、すぐに「お前は、業界の回し者か‼」と叱られるでしょうね。私はいま、完全な無添加生活を志していて、とてもまじめな食生活にチャレンジ中です。なので、決して業界の回し者ではありません。

ジャーナリストとして私がこの問題に向き合うときの心構えをご紹介したいのです。これはとても重要なことです。私は読売新聞の記者時代、一面トップの記事を何度か書いたことがあります。なかには、いわゆる“特ダネ”だって書いたことがあります。一面トップの特ダネ記事を書いた経験のある記者は、そうそういないと思います。

これは自慢話ではなく、これから書くことへの信頼度を高めるため、あえて経歴を書かせてもらっています。このような話は、自分でも恥ずかしいですから、このブログの、この記事限りです。何が言いたいのかというと、これから書くこと、そのあとに続くであろう記事も、広く、深く取材したことをベースにした事実であるということです。

では本題に入ります。先ほど書いたように、「食品添加物を恐れる必要」は、さらさらありません。同時に、「食品添加物は、間違いなくあなたの健康と命を害する毒である」ということも一方の事実です。矛盾していると思いますか? 私の目から見れば、まったく矛盾はありません。それがジャーナリストの目だと思ってください。この目を持っていれば、情報の洪水に飲まれることはなくなります。

世の中はウソだらけです。種明かしをします。

そもそも「食品添加物」はなぜ規制されているのでしょうか? それは「毒」だからです。当たり前です。毒でなければ、規制する必要がありません。では、なぜ危険な毒を国が「使っていいよ」と認可するのでしょう。理由も明らかです。食品添加物を必要としている人がいるからです。

必要としている人たちがじゃぶじゃぶお金を儲けて納税することによって、国の人たちの給料が支払われます。だから「国があえて認める」のです。このことは、とても単純な理屈ですが、一般の消費者には隠されている事実です。(国という人間はいません。そこで働いているのは、我々と同じ人間です。あえていうと国=サラリーマン集団です。)

いくら必要だという人がいるからといって、毒を許しちゃいかんでしょう。そう思人たちが、世間の不安を煽って、国や業界を攻撃しているわけですね。逆に「食品添加物は安全だ」と言い張る人たちがいます。国も、業界も、研究者も、それはそれはたくさんの人が「食品添加物は安全だ」と言い切っています。なぜでしょう? その理由も明らかです。

「安全だ」と主張する人たちのその根拠を聞けば、本来はだれも反論できないはずです。その根拠とは、「たとえ毒でも、思いきり薄めて使ってるから大丈夫なんだよ‼」という一点張りなのですから。

それはそうです。どんな猛毒だって、思いきり薄めてしまえば何の害もありません。むしろ漢方薬なんて、微量では薬だけど、大量に使うと毒だということは、結構多くの人が知っている事実でしょう。冷静に世の中を見渡してください。「用法容量をよく守って服用してください」という薬の宣伝文句を思い出してみましょう。

同じように、「食品添加物は、(大量に摂取すれば)猛毒であり、(薄めてしまえば)安全である」。なんの矛盾もないのです。だから、この議論は決着しないのです。明らかに、故意に、論点がずらされている。私はそう考えています。

本当の問題とは何か。何が闇に紛れているのか。

これから、少しずつ闇に光を当てていきましょう。お化けなど出てきやしません。すべての人が、その闇から解放される答えがあるはずです。いっしょに探しに行きましょう。自分や子供、孫を守るために。

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