もとをただせば? 誰の責任なのか。

よくよく考えると、食や健康について軽く考えていたのは、私たち初老の世代(50代後半)だったのです。最近、「いまの世相」について妻と話していて、結論はそんなところに行き着きます。

私たちの世代(昭和30年代後半生まれ)は、思春期のころに「高度経済成長の申し子」とか、「3無主義(無気力、無関心、無責任)」とかレッテルを貼られました。あげくに社会人になるころは、それまでの日本人の価値観や感性が通じない「新人類」という枠でくくられました。私たちが若いころ、女性たちの結婚の基準は「3高(さんこう)」と呼ばれました。「高学歴、高収入、高身長」です。

面白いのは、“レッテル”という言葉も流行りのひとつであって、「オレたちを枠でくくるな」とか「色眼鏡で見るな」といった、親世代への反発から使われたのでしょう。同時に、「個性」が尊重されて、私たちの世代以降は、「個性の尊重」「プライバシーの尊重」と耳触りの良い言葉を使いながら、現実には、浅はかで自分中心の考え方が“当たり前”になっていったのです。

そういう大人の姿を、私たちの子供の世代は見て育ってきただけです。そして、私たちの世代がしてきたように、自分たちの子供を育てている。ただ真似をしているにすぎません。

いまだに学習塾が繁盛し、高学歴を目指す子育ての価値観が、あたかも「不変」であるかのように君臨しているのは、間違いなく私たちの世代の責任であると思います。なぜなら、その浅はかな価値観が誤りであって、いくらでも変えられることを知っているのが、私たちの世代だからです。

その根拠は、価値観の急激な変化です。私たちより上の世代は、子供のころ「モノがないことが当たり前」で育ってきました。逆に、私たちより下の世代は、生まれたときから「モノがあることが当たり前」で育ってきました。環境が真逆なので、価値観も真逆。コミュニケーションが成立しないのです。

私たちの世代は、子供のとき、ちょうど「モノがない状態から、ある状態に急激に変わった」のを経験し、上の世代、下の世代の考えること、話すことが両方とも理解できるのです。だからこそ、どちらにも偏らず、大切なことを見極めて、下の世代に伝えなければいけません。

私たちより上の世代の価値観が全部正しいかというと、そうとは思われません。しかし、下の世代の価値観が全部正しいかというと、それも同意できません。両方の良いところを結び付ければ良いのですが、その役割を担うのは、おそらく私たちの世代しかないでしょう。両方の良いところを知っているからです。

ところが、いまは子育て環境がかなり危険な状態になっているようです。私たちの世代が、いまだに思考停止状態で、自分たちの役割を果たそうとしないからです。むしろ、問題を悪化させている、といっても良いかもしれません。

私の妻は、「子供の発達支援」といって、心身ともに良好に育つ子育てのアドバイスを仕事にしています。病院の乳児検診では、何千人もの赤ちゃんを見てきています。検診で、手足の動かし方や、刺激に対する目の動きなど反応を見て、脳機能や運動機能のどこに問題があって、どのように対応すれば修正できるのかが瞬時にわかるそうです。

また、3歳以降、学齢期、思春期以降の心と身体の発達も支援しているのですが、その現場に、大きな異変が起きているといいます。それは「母親2人による子育て」が当たり前になってきているということです。つまり、私たち祖父母の世代が、我が子の子育てに口出しし、コントロールする。母親を通り越して祖母が子育てをしているのです。

相談の現場に来る祖父母がいかに多くなっているか。「転ばぬ先の杖」とばかりに子育てに口を出すわけですが、人間は転んでわかることがたくさんあります。むしろ、転んで、失敗して、初めて成長することができる存在です。その機会を奪ってしまうと、子供は経験不足の未熟なまま、社会に放り出されることになります。

とくに、「食と健康」の問題は、すでに食品添加物に味覚を壊され、農薬汚染で健康を損ね、しかもそのことに意識が向いていません。そんな状態で孫育てに参加したら、その先は…。

私たちの世代の多くは、自分の子供どころか、孫の世代の成長すら阻害している。いま気づいて、自分たちで修正をかけていかないと、日本は歴史も文化も、すべてを失ってしまうのではないかと、とても不安な気持ちになります。

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